レポ:特級ガラコンサート~一輪の薔薇が咲いて

日時:2024年2月24日(土)
会場:J:COM浦安音楽ホール コンサートホール
出演:鈴木愛美、三井柚乃、神原雅治、嘉屋翔太
コンサートライブ配信 アーカイブ

ようやく、ようやく。
昨夏のサントリーホールに集った彼らの『現在地』を、聴きに行ってまいりました。
会場は千葉県にあるJR新浦安駅すぐそば、半年前のコンペティションでは予選会場にもなっていたJ:COM浦安音楽ホール。彼らにとって、忘れがたい夏を共に過ごした場所でもあります。

木目の壁とモノトーンの天井がモダンで落ち着きのあるホールには、すでに多くの方が着席していました。小さなお子さんたちも多くみえ、この中に未来の特級グランプリになる子がいるのかも……と、いつか『特級』へと続き、そしてまたそこから未来へと続く大河の始まりのようなせせらぎを感じ、始まる前から胸が熱くなりました。

鈴木愛美
ブラームス:コラール前奏曲「一輪の薔薇が咲いて」Op.122-8(ブゾーニ編)

タイトルにもなっているOp.122-8「一輪の薔薇が咲いて」からコンサートが幕をあけます。照明を抑えた暗いホールに鈴木さんの靴音が響くと、会場全体が程よい緊張に引き締まるのを感じました。

月夜のような仄灯りの中、鈴木さんの柔らかくて優しい音だけが聴こえ、こちらに語り掛けてくるような心地よさ。ほどなくしてステージが照らし出されると、ひとりのピアニストと一台のピアノが姿を現しました。鈴木さんは音楽に永遠の誓いをたてたような敬虔さで、音楽は鳴っているのにもかかわらず『静』を感じました。コラールの響きが会場を包み込み、これから始まるブラームスの世界へと観客をいざないます。左手はブラームスが優しく歌っているようにも聴こえ、儚くも凛々しい音色を奏でる右手をつかず離れず守るように支えていました。ブラームスが『薔薇』を回想するように愛でているように感じ、彼にとっての『薔薇』とは何であるのか、短い演奏時間の中で考えていました。
自身の人生か、その手が生んだ数多の音楽たちか、あるいは……

嘉屋翔太
ブラームス:7つの幻想曲 Op.116

他の作曲家と比べると『とっつきにくい』かもしれない、そのようなお話をしてくださった嘉屋さんの演奏は、聴き手に分かりやすいこと、伝わってこそ、という外側に向けた真心に満ちあふれていました。豊かなハーモニー、幅広いダイナミクス、そしてドラマティックなフレージング……。細部まで工夫が凝らされ、馴染みの薄い曲でも嘉屋さんなら置いていかれることはないな、という安心感と、どんな世界を見せてくれるのだろうという期待感。嘉屋さんの解説つきで一緒にブラームスのフォトアルバムをめくるような感覚に胸が躍りました。

個人的には特に4曲目の穏やかなアダージョの中から感じた、ブラームスのやり残したような、何かをどこかに置いてきたような、「いまさら言っても仕方ない」とでも言いたげな心残りがとても印象的でした。懐かしさや離れがたさからそっと目を逸らすような切なさが聴こえてくるようでした。

終演後のインタビューで嘉屋さんは、アーカイブを視聴者する方に向けて「会場に満ちている響きや余韻を、間の取り方なども併せて聴くと面白く聴いてもらえるのではないかと思います」とメッセージをくださいました。
改めてアーカイブを聴くと、直接の音からだけでなく、確かにそういった間の取り方や残響からも上記のような『心残り』や『今更』を感じたのかもしれないと思いました。

また、終演後に「全体を通してブラームスの思い出を綴った写真展や絵画展を巡ったような感覚になりました」とお伝えすると、「今回のプログラムは(くちずさめるような曲が少ないので)聴き手も世界観に入るのが大変かなと思いましたが、そのように(なんであれ)伝わったのなら嬉しいし、意義のある演奏会だったのだと思います」と、笑顔で応えてくださいました。

神原雅治
ブラームス:3つの間奏曲 Op.117

会場が完全な静寂になるまで姿勢を正したまま待つ神原さんの1番は、1音めから極上の毛布のような優しい祝福のあたたかさで、まさに揺りかごに揺られながら聴く子守歌でした。でありながら、生はいずれ苦となり、死である、というような重苦しい中間部も、決して切り分けずに、しかしくっきりと描き出していました。

神原さんはこの曲の中では、2番が好きとお話ししてくださいました。後期の作品は誰かに何かを伝えたい、というよりもブラームス自身が自分の内に向かう、独り言や回想のように感じるところが魅力、と。中でも2番は特に葛藤など心の動きが感じられるのではないかと……とも。絶え間ないアルベジオと逃げるようなメロディがその葛藤の正体でしょうか。次第にどちらが逃げているのか追っているのか分からなくなる、メビウスの輪のような堂々巡り。葛藤の末に沈み込む終わりにも胸が締め付けられました。

そしてレクイエムのような3番。繰り返されるフレーズが次第に迫りくる、その怖さのようなものも印象的でしたが、1曲目の子守歌にあった苦しみと対を成すように存在しているかのように見えた『中間部の救い』がかき消されていくようで、とても恐ろしく、寂しくなりました。

神原雅治
ブラームス:コラール前奏曲「わが心の切なる願い」Op.122-10(ブゾーニ編)

休憩を挟んで神原さんが再び舞台上に現れました。鈴木さんがはじめに演奏したOp.122から、神原さんは10番を。

心の奥深くを直に震わせる琥珀色の甘やかな音色で、声部を丁寧に歌い分けながらコラールを奏でる神原さん。悲痛で、けれど淡々と、あるがままの死を受け入れるかのような凪を見るようでした。肉体から解き放たれた先にあるとされる救いが姿を見せますが、それに期待することなく、ただ、穏やかに終わりたい、思い出して苦しむのなら思い出すら心に残さず、すべて手放してしまいたい、無になりたい……そんな願いを感じました。しかし無になりたいと願うこと自体が既に無でなく、生命より精神に執着するブラームスが垣間見えたような気もして、ブラームスがとても愛おしくなりました。

神原さんについて、プログラムにこんな記載がありました。

─彼の二次予選のブラームスは特級史上に残る名演だった─

そのとき演奏したのは、ブラームスが20歳頃に書いた4つのバラードOp.10でした。抑制の効いた演奏の中に、若きブラームスに呼応するような神原さんの熱いパッションが見え隠れし、その不思議な多重構造にとても惹かれたのを覚えています。

この日の神原さんの、晩年のブラームスもまた、特級史上に残る名演だったのではないでしょうか……若い頃と晩年という曲の性質に違いがあるのも勿論ですが、二次の演奏より更に内面に向かう深度を増したように感じ、そんなことを思いました。

三井柚乃
ブラームス:6つの小品 Op.118

三井さんが弾き始めると、ブリリアントにきらめく音たちが勢いよく天井まで駆け上がりました。三井さんはインタビューなどでお話しているときは人懐っこい笑顔の印象があるのですが、演奏になると曲の世界観に深く入り込んで真剣そのもの、近寄りがたさすら感じるほどの華やかさを放ちます。どんなに大きな音でも上品さを損なわず、どんなに小さな音でも芯の強さを失わない三井さんの演奏は、その気品と説得力が時折、ハッとするほど成熟した演奏家を思わせ、息を吞むのでした。

開催前のインスタライブの中で、「小品が好き、このOp.118の中では5番の『ロマンス』が好き」と話していた三井さん。生演奏を聴く前は1番や3番がお気に入りでしたが、5番は音の中に揺蕩う舟歌のような心地よさもあって、私も大好きな曲になりました。中間部のトリルが連続したあと、静かに胸が高鳴っていくようなドラマティックな展開にも心がときめきます。しかし甘い曲調なのにハッピーエンドは叶わなかったのでしょうか……。終わる頃には故あって身を引く姫君の、祈りのように清廉な姿が浮かびました。

終演後に少しだけお話を伺えたとき、「特級に参加している最中、合間に弾いて心を落ち着かせていた思い入れの深い曲なんです。ここは特級で弾いたステージなので、この曲をここで弾けたことがとても嬉しいです」と語ってくださったのが強く印象に残っています。

鈴木愛美
ブラームス:4つの小品 Op.119

コラールでコンサートの開幕を飾った鈴木さんが再び登場。ブラームスの小品集としては最後の作品となったOp.119を携え、コンサートの最後も鈴木さんで締めくくりです。

特に2番が好きと話す鈴木さんは「アジタート……死が見えているみたいな、内にある不安かもしれない」と、開催前のインスタライブで語っていました。何かに追い立てられるような切迫感や、見えないものを掴もうとするような焦燥感のような、まさに不安そのものがこちらにも伝わりました。ひと時の休息のような中間部は、全てを赦す天上の歌声が聴こえました。

そして4番の狂詩曲! ラストを飾るにふさわしい、オーケストラのような曲が、堂々と華麗に、精彩にホールじゅうを駆け巡りました。華やかな色彩と星をちりばめたような曲でありながら、どこか滑稽に空回りする独り芝居のようにも感じられ、時折ふと見せる虚しさのようなフレーズと、それを覆い隠すように笑ってみせるようなフレーズが鈴木さんの豊かなカラーパレットによって描きだされ、壮大に混じりあっていました。短いながらもこれだけの大きな音楽。全身全霊でピアノに向かう鈴木さんに、思わず身を乗り出してしまいそうなほど体が熱くなりました。

実は鈴木さん、終演後には「納得いかないところも多かったんです」と、正直な気持ちを話してくださいました。それでも、1番の出だしのなんともいえない美しさと切なさ、3番のリズミカルさや推進力、それら含めすべてが半年前とは別物で、この半年の間に褒賞コンサートなどグランプリとして数多く演奏機会を得て、常に学び、成長し続けていることは明らかに伝わってきていました。

別のピアニストが以前「自分に満足したらそこで終わり」のようなことを話していました。現時点で完成している必要などないのです。鈴木さんの飾らず真っ直ぐな人柄とストイックな姿勢が、これからの1か月後、半年後、1年後……の更なる素晴らしい演奏に繋がっていくのだと確信しています。

アンコール
シューマン:連弾のための12の小品 Op.85~小さな子供と大きな子供のために~ より
「庭園のメロディ」 Op.85-3(三井柚乃・嘉屋翔太)
「夕べの歌」 Op.85-12(鈴木愛美・神原雅治)
「すいません息切れが……(笑)」と、照れ笑う鈴木さんを見つめる3人も和やか

満場のカーテンコールに応え、4人が揃って登場。
鈴木さんが熱演の直後で息を切らしながら来場の謝辞を述べると、会場からも笑い声が聴こえて空気が穏やかに弛緩しました。

アンコールはペアを作っての連弾でした。
「庭園のメロディ」では、三井さんと嘉屋さんの明るく華やかな音色が、「夕べの歌」は、鈴木さんと神原さんの落ち着いたあたたかい音色が、それぞれの曲と個性とがとてもよくお似合いでした。

未来の特級グランプリを目指す小さなピアニストたちにとって、この時間はもしかしたら本編よりも尊い、憧れの風景だったかもしれません。
いつか一緒に、あるいはいつかこの曲でコンペティションの舞台に立つ日を目標にと、大きな励みになったことと思います。

「庭園」の花の香りと「夕べ」の優しい余韻に包まれ、大きな大きな拍手の中、思い出のホールでのコンサートは終演となりました。

終演後にはロビーでサイン会が行われ、お客様と和やかに言葉を交わす場面も。

4人の入賞者たちは、あれだけの熱量の演奏のあとでの撮影やサイン会などにも疲れを見せずに笑顔で応じ、バックステージでも和気あいあいと集まっていました。もはや今となっては順位など無関係で、特級同期として互いに切磋琢磨し、等身大の身近な相談相手としても絆を強めているのだなと感じます。そんな彼らの未来をずっと応援し続けていきたいと、改めて強く感じた素晴らしいコンサートでした。

レポート:寿すばる

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