開催レポ:特級ガラコンサート ベートーヴェン四大ソナタ連続演奏会
2023年2月19日(日)J:COM浦安音楽ホールにて特級ガラコンサートが開催されました。特級公式レポーター山平昌子さんによるレポートをお届けします。
演奏動画は3月31日夜7時から連続プレミア公開!動画の視聴はこちらから。
日程 | 2023年2月19日(日)14時 |
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会場 | J:COM浦安音楽ホール(千葉) |
出演 | 北村明日人・神宮司悠翔・森永冬香・鶴原壮一郎(ピアノ) |
共催 | J:COM浦安音楽ホール |
薄曇りの中にも春の気配がかすかに感じられる2月半ばの日曜日、J:COM浦安音楽ホール、コンサートホールのロビーはたくさんのお客さんで溢れていました。みな高揚した面持ちで音楽のはじまりを待ちわびています。
幕開けは、北村明日人さんの柔らかな一節から。「アンダンテ・フォヴォリ」とは、「お気に入りのアンダンテ」という意味。当初「ワルトシュタイン」の第2楽章として作曲されたものの、切り離されて独立した作品になったといわれています。ろうそくの光のような北村さんの演奏に、客席の集中は静かにステージに注ぎ込まれていきました。
続く鶴原壮一郎さんの「月光」。有名な第1楽章が、これまで幾度となく聴いてきた、静かな「月光」と全く違うことに驚きました。時に風と波に煽られ、時に小さく揺れ続け、杭に当たってカタカタと不穏な音を立てたりする・・もしかしてこれは「小舟」?
「月光」のタイトルは、ベートーヴェンが付けたものではなく、詩人レルシュターブの「ルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」という一節から取られたという説が有名です。多くの人が「月光」を表現するところで、鶴原さんは「小舟」を表現したのではないか。私にはそんな風に感じられました。
楽章をつなぐ意味合いが緻密に織り込まれた第2楽章。そして既存のベートーヴェン像を覆すような第3楽章。その像に照らせば、一見掟破りの表現にも、そうでなくてはならない意図と理由があることが分かります。曲を終え、大きな拍手に応える鶴原さんの胸元に、ト音記号のブローチがきらりと光りました。
特級セミファイナルでも「熱情」を選曲した神宮司悠翔さん。圧倒的な技術力と爆発的なエネルギー、同時に端正でエレガントであることが神宮司さんの持ち味です。第1楽章の執拗な追っ手のように繰り返される不穏なフレーズの間にも、優美さが失われることはありません。神宮司さんの音楽にまた出会えた、という気持ちになりました。
第2楽章の個人的な心情の吐露のような響きは、この半年の神宮司さんの自問自答と葛藤の軌跡のように感じられました。ピアニストにとっては日常よりもステージ上の方が、ありのままの自分でいられる場所なのかも知れません。運命との死闘のような第3楽章を駆け抜けた後、神宮司さんはひととき日常に戻り、静かに客席の拍手に応えました。
観客がしばし前半の興奮を分かち合い、後半への期待を確認しあった休憩の後、森永さんの「悲愴」の最初の和音が、唸るような吐息とともに吐き出されました。セミファイナルの現代課題曲、「Prelude」での気迫が思い出されます。真摯で迷いのないアプローチはあの頃のままに、音色は一段広がりを持ったようです。森永さんは昨夏以降、支部での演奏に加え、多くのアンサンブルの機会を得たとのこと。別の楽器に耳を澄ます経験が、森永さんの中の音楽を変化させたのでしょう。この世界でやっていくという覚悟やビジョン、そして自信をも感じさせる演奏でした。豊かな響きで慈しむように奏でられた第2楽章に続き、駆け抜けるような第3楽章。最後の和音が最初の和音と呼応し、円環するように曲の終わりを告げた時、客席にも満足気なため息が広がりました。
特級での選曲にも一貫してドイツ音楽への思いを込めた北村さん。私はファイナルでの、光の梯子が降りてくるようなベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」を忘れることができません。至高の音色は、今日の「ワルトシュタイン」でも遺憾なく発揮されました。のどかな田園が、突然の暗雲が、嵐が、そして思い出が、苦悩が、希望が、音楽を介していることを忘れるほど、直に心に伝わってくるようでした。
そして第1楽章の後の無音の、密度の濃さ。この数分間が、沈黙の質を根本から変えてしまったようです。第2楽章は子どもに語る大切な物語のように、聴き手ひとりひとりに手渡されました。
自然の流れのうちに、しかし確固として、第3楽章が始まりました。生きることへの根源的な喜びを取り戻し、突如目に映るものすべてが輝きを増したようです。最後の一音が空に捧げられたように消えた瞬間、ホールは万雷の拍手に包まれました。
それぞれが違うソナタを担当したら、どんな演奏をしたのだろう、と考えながらトークを聞きました。「4人で演奏するのはこれが最後。寂しいような気持ちです」という鶴原さんの言葉には、言葉どおりの寂しさと、大きな希望とが同居しているように感じられました。音楽の道のりは先人たちに切り開かれているようで、それぞれの道は自分だけの探求です。同志に一瞬の挨拶を交わすような、かけがえのないひとときに居合わせてもらったことに大きな喜びを感じました。
アンコールの連弾は、鶴原さんと森永さんのシューベルト「6つのポロネーズ 第1番」。そして神宮司さんと北村さんのブラームス「ワルツ集 愛の歌 第6番」。本編とともに、アーカイブでお楽しみください。
文:山平昌子(特級公式レポーター)