50周年企画「対談インタビュー」 第2回 林苑子×本多昌子
ピティナ50周年記念事業(2月28日)に向けた対談企画の第2回は、理事の林苑子先生と評議員の本多昌子先生の登場です。コンクールの始まり、ステップの成長期について語っていただきました。
- 本多
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私が初めてピティナ受けたのは、1977年の第1回。当時はプレとか、ヤングピアニストと言っていました。審査員長の田村宏先生から初めて賞状を頂いたことを覚えています。E級の全国大会3人は全員金賞、それぞれの個性で良いという絶対評価の時代でした。まだ誰にも知られていないコンクールでしたが、今やこのような大コンクールになったなんて・・。
- 林
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「指導者が勉強するには、生徒さんをコンクールを出すことが一番。」ということで始まったと聞いています。
- 本多
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創立者の福田靖子先生が、全国各地の先生方に声掛けしていらっしゃいました。その頃から四期の課題曲でしたが、私は今でも曲だけは鮮明に覚えています。バッハ、モーツァルト、ブラームス、小林仁の作品。小さなころから四期を弾けるコンクールというのは、他にはありませんでした。
- 林
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あの頃は、ソナチネとバッハ。エチュードは、基礎ができたらショパン、という考え方でしたね。
- 本多
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現代の曲も少なかったですね。四期があるから、ロマン派も弾けるし、ペダルを小さい頃から学んで、耳を養うことができます。世界の国際コンクールを視野に入れていたと聞いています。また、邦人作品を演奏するというのも画期的でした。
もともとピティナは邦人作品の振興として始まったけれど、それだけだと人が集まらない。当時、全国の指導の"格差"を埋めるためにコンクールを行ったけれど、皆が弾きたいロマン派などに加えて日本人の作品をやれば、日本の曲が広まるだろう、と考えられていたと聞いています。
- 本多
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また、ピティナのコンペにはご褒美の演奏旅行がありました。当時としては、これは、子どもにとってはすごい喜びでした。私の翌年は、若林顕さんが出て、ご褒美の演奏会はオーケストラ共演!山本直純さんの指揮だったのですよ。実は当時小学生の妹も銅賞で共演させていただきました。
- 林
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実は私、そのコンサートを聴きにいったんですよ・・!どこかですれ違っていたかもしれませんね。
林先生は、ピティナに関わられて四半世紀。1990年代、ステップ創設の頃のピティナはどんな感じでしたか?
- 林
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コンペは、すでに定着していましたね。私自身、ステップの誕生そのものには関わっていないのですが、当時、日本で例のなかった大人のためのピアノ教本を共著で出版しておりました。全然譜面も読めない、音楽は好きでも全く弾けない、そういう人向けでした。同じ頃、戸沢睦子先生が、埼玉で「実年のためのピアノ教室」を始めていらっしゃったことを、私は報道では知っていましたが、ある時、戸沢先生のご紹介で、委員会に入ることになったのです。先生は私の楽譜をご存知だったんですね。
つまり、ステップの精神の根底には、「みんなにピアノを弾いてもらおう」ということがあったんですね(特別な人だけがピアノを弾くのではなく)。
ステップのアドバイスは、「参加者に寄り添う」ということが大切。前例のないところから始め、どんどん新しい企画を取り入れて、発展しました。今では、子どもたち、受験生、レベルの高いアマチュア、大人になって始めた方・・・全てにステージを提供して、喜んでいただいています。この過程に関われた20年は、とても幸せでした。
ステップの特色にトークコンサートがありますが、こちらについてお聞かせいただけませんか。
- 本多
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本格的に開始したのは2000年。私も1999年に恵比寿で初めて行い、最近は、春に課題曲を扱ったトークコンサートをすることが多いです。「舞曲」などテーマを絞って、歴史を振り返るような感じにしたり。課題曲でも馴染みのある、バッハやベートーヴェン、ショパンなど知られた作曲家を取り上げて、次の時代の扉を開けたよ、という説明で時代の流れにつなげるとか。
- 林
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トークコンサートの一番の良さは、お子さんが弾いたのと同じホールで、同じピアノでプロが弾くと、こんなに音が違うと感じることです。本物に触れ、憧れと目標を持つでしょう。また、派遣委員会としては、トークコンサートで、新進気鋭のピアニストの方々が活躍されるのも嬉しいですね。
トークコンサートのステップ開催地区数に対する割合が増えてきていますね
- 林
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2002年は地区数175のうち8地区だったのが、2010年に30%、そして今年度は何と55.7%、半分以上のところで行われています。これは想像以上の成果ですね。
アドバイザー自身にとっても、新しい発見があったという声があります。リサイタルとは違って、会場と一緒に勉強している感覚があったと。若手の演奏家にとって、こういう実践の場はよい経験になるのでしょうね。
- 本多
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杉並ミュージックブランチで、トークが入ったコンサートをお願いすると、最近そういう依頼が多くなったと、演奏家の方にいわれました。世の中のコンサートスタイルが変わってきたのは、ピティナのトークコンサートがはしりかもしれない、とふと思いましたね。言葉で、演奏者と聴き手の壁をなくす、ということです。日本全国の聴衆を育てているかもしれませんね。
学び、弾き続けるピアノ指導者
育っていく若手ピアノ指導者
- 本多
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最近は、指導者がステップに出ることも多くなったようですね。
- 林
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私自身、毎日弾き続けていて、初めて分かることもあります。その気持ちは大事にしたいです。
お二人が指導しながら常に、演奏にこだわり続けているのが素晴らしいです。
- 本多
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苑子先生を初めてステップ説明会の講師にお呼びしたとき、「せっかくだから何か一緒に弾かない?」とおっしゃっていただきました。二人でミヨーやラフマニノフの2台ピアノの作品を弾いたのです。一緒に演奏することは、レッスンではありませんが、相手から学べることがたくさんあります。言葉でなく、フレーズや音色から。これが、今の自分のアンサンブルの活動につながっていると思います。
- 林
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私も説明会で、ふと思ったんです。会場はみなピアノの先生。実は言葉より、音に反応するんじゃないかしら、と。曲のポイントを10分ほど弾いてみました。これが大変好評でした。私の歳になっても、弾き続けることで、明日、自分はまたひとつ、新しいことが分かるだろう、と思えるんです。テクニックも弾き続けてさえいれば、多彩な音の出し方が身につくんですよ。いつも、周りに弾こうよ、弾こうよ、と言い続けております。
これから若い指導者を増やすために、指導に興味を持つためにはどうしたらよいでしょうか。
- 林
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私の経験からいいますと、卒業したばかりの頃は燃えていますから(笑)。「どうしてこんなことがわからないの」と、内心思っていました。レッスンを受ける側の気持ちになって、アナリーゼやテクニックなどをいかに分かり易い言葉で伝えるか、そして、ピアノを弾く喜びにどうつなげるか、を工夫するようになりました。
- 本多
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私は20代から課題曲セミナーをさせて頂きましたが、これってかなり大変なことで。この小さな曲を、どういうふうに先生方に説明させていただくか。現場で鍛えていただいた、という感覚です。
逆に、若い方々は、ご自身がセミナーをする立場になられるとよいと思いますよ。人に分かりやすく伝えるためにはどうしたらよいか、と、勉強せざるを得ませんから。受け身でなく自分がするのとはまた違いますね。いま、山手支部でやっているピアラーニングがそれを実践していますね。
お互いに学ぶ、という意味だそうですね。自分が話せるテーマを20分にまとめて話すという。
- 本多
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そう、その20分のために準備することが勉強になります。トークコンサートのよいところも、演奏するだけでなく、相手にトークで伝えなきゃいけない、というところですね。100調べて、やっと10しゃべれますから(笑)。どの先生方も、今度は自分が話し手に回ることを考えていかれたらよいのではと思います。
企業秘密でなくて、お互いに共有しあう、そうなっていくといいですね
- 林
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クラシックは「古典」なんですよね。最近、新聞やテレビの影響もあって漱石をもう一度読まれた方も多いと思います。小説と同じように、私たちも、同じ曲を10代、20代、30代・・・何歳になっても、再び学んで、演奏すると、必ず何か見つかるんですよね。
だからやっぱり「弾こう」と言い続けます(笑)