特集「公開録音コンサートで学ぶ!」に寄せて~指導者の方々へのメッセージ~金澤攝先生

私はこれまでおよそ40年にわたり、一般に知られていない作曲家や作品を調べ、弾き続けてきました。何千曲弾いたか、何万曲見たか、私にもわかりません。何故そんなことに一生をかけたのかと言えば、私を本当に感嘆させた音楽のほとんどが、世に知られていないものだったからです。どうやらあるレベルを超えた物凄い作品は、却って残らないことがわかりました。

それらは単に演奏が難しい、という問題以外に、例えば19世紀の社会環境の中では伝わらなかったり、理解されなかったもの、20世紀のコマーシャル・ベースに乗れなかったもの、戦争が影響したもの等、さまざまです。いづれも芸術的価値とは無関係の理由によるもので、人類の価値ある音楽遺産の9割以上は失われているのではないか、というのが私の率直な実感です。これらが陽の目を見れば、従来の音楽史は全面的な改訂を余儀なくされるでしょう。何故、これ程までに歴史が調べられなかったかというと、情報が余りにも膨大であったことに加え、音楽関係者が「売れないものには関わらない」という態度を取り続けてきたからでした。

特に20世紀に入り、レコード産業やコンサート興業の利益追求は、少数の著名作曲家の極端なブランド化を推進します。一方で音楽学校の教育課程により、演奏家志望者は一部の限られたレパートリーを「王道」として教え込まれ、長じて自分もそれを弟子に伝える、という循環が完結するようになりました。音大入試も、コンクール参加者も、それらに関わらざるを得ないシステムになっています。

しかし、これだけのネット社会となった今日、一般人の関心や造詣、音楽への理解力は専門家の想定を超える勢いで進化しています。いつまでも同じ曲目を繰り返すだけでは社会に対応できず、活動が成り立たなくなっているのです。過去の大演奏家を凌ぐような名演が、若手演奏家によって次々に実現されることを期待するのは無理があります。

ではどうしたらいいのか。しかしそれについて、学校では教えてくれず、そうした教材や本もありません。新たな情報整備や教育が全く追いつかないからです。つまり、関係者一人一人が開拓しなくてはならない問題です。

私が考えるのは、従来の演奏教育に最も欠けていた2つの原点に立ち帰ることです。即ち、音楽の鑑賞力と、歴史認識です。現実問題として、演奏家も指導者も、それぞれ自身の専門領域をある程度絞り込む必要があります。その時代、その地域のスペシャリストを目指すべきで、「専門店」を出さずに、皆が同じメニューの食堂ばかりを開店しようとするから立ち行かないのです。「定番曲」しか弾けない演奏家をこれ以上量産することは社会悪です。今、率先して勉強しなくてはならないのは指導者でしょう。これからの演奏家や音楽界の未来がかかっているのですから。少くとも年に一度は新曲で自らステージに立つ覚悟が必要です。

驚くべき名曲は、想像を絶する規模で存在しています。常に好奇心を持って未知の世界に臨み、その楽しさを伝える。これも指導者の重要な務めだと私は考えます。

(2019.1.16) 金澤攝

【広告】