50周年企画「対談インタビュー」 第8回 ピアノ曲事典・公開録音コンサート座談会

50周年企画「対談インタビュー」
8
ピアノ曲事典・
公開録音コンサート座談会

ピティナ50周年記念対談シリーズ。今回は、ピティナ・ピアノ曲事典に携わってきた4名による座談会です。「音が鳴る事典」を作りたいという単純な発想から始まり、社会的・学術的な貢献を志すようになったこの事業の道のりと、今後のゆくえについて語っていただきました。

赤松林太郎(音源掲載数最多の343)

金子一朗(第1回公開録音コンサート出演)

上田泰史(ピティナ・ピアノ曲事典副編集長)

實方康介(ピティナ本部事務局/ピティナ・ピアノ曲事典編集長)


ピティナ・ピアノ曲事典誕生と変遷
實方

2002年からピアノ曲事典を始めて15年。事務局で所蔵していたCDのデータベースをウェブサイトとして転用したのが始まりです。「事典」と名付けたのは単純に「音が聴ける事典があったらいいな」と思ったからです。まだ「ブロードバンド」普及前でした。思いつきで始めたような企画でしたが、3年後にはピティナのウェブサイトのページビューの半分を占めるようになり、「これはピティナに貢献する力を持てる」と感じ始めました。多くの方がピティナを知るきっかけになっていましたし、会員のプロモーションのお手伝いにもなります。それが2005年~2007年頃ですね。その後YouTubeなどのサービスが広まって、ネットで音楽を聴くことは自然になりました。現在のピアノ曲事典の目標はクラシック音楽そのもののプロモーションはもちろんのことですが、学術的な成果の蓄積も行っていきたいと考えています。さらにその先では、ピティナの目的でもある、文化そのものを振興していくことに向かっていけるのかな、と。実は、研究所の構想もあります。
ピアノ曲事典は、企画の進展に応じて、次第に影響範囲を広げていこうとしています。

学会で、社会人の中で、様々な利用
上田

お手伝いを始めた当時(2004年頃)、實方さんがピアノ曲事典を作り出してから生き生きとなった、と専務理事がおっしゃっていたことを覚えています(笑)。パリに留学した頃、ある学会でフランス人の発表の時、ピティナでしか録音されていないはずの音源が使われていました。国際的にも結構、あちこちで使われている可能性はあるんですよね。見えないところでの波及効果というのは、インターネット時代ならではの貢献だと思いますね。

金子

アマチュア系、社会人系の人が楽しんで下さったり、厳しいコメントをおっしゃって下さったりすることも多いですね。仕事をやりながら、限られた時間で音楽をやるので、自分の好きなカテゴリーに関しては貪欲、細かいことは凄く知っています。ピアノ曲事典のおもしろいところは、昔の録音ではない、つい直近の録音だということ。ある程度考証されてきた一時代前のスタイルではなく、今、最新のものを学んできた音大生、留学生がピアノ曲事典に音源を提供している、それに対して解説がついている。そういう意味で、モダンピアノに関しての旬な状態をピアノ曲事典から得るメリットは大きいと思います。

赤松

私は震災の少し前に、實方さんに誘って頂きました。それから隔月くらいで公開録音コンサートをやっています。初めは、ナクソスの動画版をやりたいのかな、と思いました。網羅したいという思いがよく分かりました。

興味の『立ち位置』、その枠を広げる
赤松

CDだと500枚も売れない曲が、3000、4000のアクセスがある、実は意外に見ているんですよね。Youtubeに目をつけたのは良かったと思います。そういうツールとして、垣根を取っ払ったということでピティナの貢献は大きいですね。
そして、どういう曲が埋まっていないのかを「発掘する」うちに、おもしろいことが分かってきたんです。いま我々が知っているのは音楽史の背骨、いわばスケルトンでしかない、そうでなくて肉付きの部分を学ぶことが大切だと。これからの課題は、クオンティティの整理とクオリティの管理。聴く人は、自分の興味あるものしか聴かない、例えばGPSのグーグルマップでは自分を中心として行きたいところしか見えない。せめて、「枠」を大きくつくっておいてあげないと、と思います。
あとは、何か新しいことをやりたいと思った時にスタートができるような支援、でしょうか。

上田

クオリティの問題は、画質、曲目一覧、言語の綴り、訳、など改訂は可能ですが、次の研究所立ち上げと科研費等の助成金で、一気に改善していきたいですね。

實方

クオリティのところと、演奏者への支援は、研究所の設立で同時に解決していきたい。文科省に認可してもらって研究費がとれるという意味での研究所を目指しています。企画の精度も高められると思う、というより高めざるを得ないですね。

良識の府として、研究所構想
上田

日本の音楽学会の若い世代が、近年次々にヨーロッパで博士号を取り始めています。そういう人たちの力を、活用したいですね。

赤松

ピティナ=「導入」というばかりでなく、「良識の府」であっていただきたいです。ピアノ曲事典は「抑止力」になると思いますよ。例えば過去の入賞者のYoutube映像や課題曲CDをずーっと聞いて、そのコピーをする・・。それは学術的でも芸術的でもない。そこに私たちが別の演奏を提供することで抑止力になります。

上田

インヴェンションのページに、武久源造さんがジルバーマンのフォルテピアノの複製モデルで弾いている演奏がありますね。ああいうものが一つあるだけで、楽器によって、解釈が変わることを、当然のこととして示せます。それが、ショパンでもドビュッシーでもできるのではないかと思います。

赤松

上田さんの文章をピティナの会員の方々はどれだけ読んでいるんだろう・・。外部の人が読んでいる方が多いように思う。

スタンダード化と多様化、質と量のバランス
上田

ピティナは特定のメソッドを推奨しているわけではないのに、過去の入賞者の事例を学ぶことを通じて「スタンダード化」してしまう。別の視点から音楽を見るシステムがあってもよいのかもしれません。例えば、初見とか、通奏低音とか、スコアリーディングなどのソルフェージュ的な部分と、即興的な部分との間を、もう少し演奏の側面からみていくとか。クラシックは作品を深く解釈するジャンルだと思っている人が多いんです。もちろんそういう面は多いけれど、一方で、西洋では主体的に生み出す「自発的な即興」という考え方が、オルガンからの鍵盤楽器の伝統の中にあるわけで、そうした教育的な新しいスキームを設けていくだけでも、様式のスタンダード化は変わっていくのではないでしょうか。

赤松

ピアノ曲事典と、学生、指導者を結ぶ。特に、直接学生に働きかける影響力をもつコンテンツを整備すると良いかもしれないですね。学生は勝手にスマホで検索してくれますから、もっと大学を活用して協働していけば、ピティナだけでなく、一緒にやっていけますね。学会で使ってもらえるのであれば、逆に、授業で使ってもらえるくらいのコンテンツに、価値を整備する方が、効果があると思います。

上田

大きな物事をみるときに、いろいろな概念を整理して説明してみることは大切で、様式、ジャンルについての歴史を学べるページはいつか必要だと思っています。例えば、有名無名の「舟歌」なら、共通部分は何で、ある作曲者で特殊な部分は何か、とか。「バラード」の系列があるのであれば、ソナタ的な部分、ファンタジー的な部分、何をもってバラードなのか、とか。ジャンルのタイポロジーを示すのも一つのやり方ですね。ピアノ音楽の、「ピティナ史観」のようなものがあってもいいかもしれませんね。一つの国の歴史を包括した歴史を連載でまず打ち出してもみてもいい。

赤松

ピアノ曲事典が、ゆくゆく研究所に拡大発展していくとしたら、皆に一番分かり易い、1枚の紙で方向性をみせてあげないと。

金子

僕はね、いまのWEB上のもので漠然ともっているイメージがあって、今までは文章と写真が紙で与えられていた世界ですが、ピアノ曲事典で、例えばバロックの様式の説明がある中で、ピアノ曲事典のいろいろな特徴が含まれているものや動画にリンクしたり、とか。技術の説明に飛んでもいいし、世界史的な記述の方面に飛んでもいいし。本ではない、映像と音声とでいろいろなものを総合的に設計されているもの、そういうものをイメージしています。もう少し系統的にやっていければできるのでは。

上田

大量のデータベースの見えるガイド、ですね。

金子

そう、設計になるものがあると相当違うと思う。そうすると、必要なもの、質を高めなければいけないもの、が分かるし、幹みたいなものをきちっと作って、それに関連することから整備していきながら、進めてはどうでしょう。

上田

書籍では、新しく重要度が増してきた作曲者を足すことができない。WEB上では無制限ですから、そういったところは、ピティナしかカバーできないオリジナリティで、完全に差異化を図れる。学習者が消化できる程度のエッセンスをまとめて系統立てること、かつ、一般の紙媒体に出まわっていない情報も入れること。

金子

個人的に一番弱いと思っているのは、ピリオド楽器のいろいろなしきたり、スタイル、それをモダン楽器に必要な部分を移しこまなければいけない、そこがまだ薄いと思っています。実際、ピリオド楽器的なものは、ヨーロッパではむしろ主流。「こんな作品までピリオド楽器で演奏するの?」となっています。これは当時の美意識が失われたことに対する一種の警鐘のようなものともいえます。近現代と違って、特に古典・バロックの根底はそこに問題を感じるので、研究所のコンテンツ整理の中で、その方向は無視できないと思います。

上田

音源の演奏様式をどう図式化するか、視覚化するか。波形なのか、波線なのか...。プレゼンテーションにもクリエイティブにならなくてはいけない。それをやっていくと、これまでの学術研究でみえてこなかったものがみえてくることがあるかもしれない。それが演奏にフィードバックされていく、というプロセスをセミナーでやっていく...。

實方

古典、バロックに関しては、もとから個人的な興味もあって、この2~3年鍵盤楽器事典の企画などで強化しようと考えていたところです。5年前からコンクール審査の仕事にも関わるようになって、審査員の先生方から最初に耳に入ってきたのが「(参加者が弾く)バロック、古典がそれらしくない」という意見でしたから。全く違うベクトルの仕事だとは認識しているんですけど・・。

赤松

実は、いちばんひどいのはロマン派ですよ・・・。バロック様式や、ピリオド楽器を知らないというのも分かりますが、でも、ロマン派は全部演歌ですよ・・・。

金子

基本の和声フレーズとか無視して、線だけで歌っている。

實方

やはり、順番に積み上げるには、古典のソナチネなどをしっかり修めてもらわないといけないんじゃないかと思うのですが。

理論、そして現場で音にすること
赤松

もう一つ、「四期」の言い方をそろそろ考えた直したほうがいいのかも。クープランとラモーが一緒になっているし、バッハがバロックの全てだと思っている人がほとんど。スカルラッティ、ヘンデル...。例えば、Jから始まるジグはどうなるの?という話は誰も分からない。ミヌエットとメヌエット、クーラントとコレンテはと何が違うの?毎回何度も言っていても、音と何もリンクしない。それは、バロックはバロックで終わっているからなんです。自分の授業で、いきなり古楽を弾かされて「何世紀の何をやっている誰の作品か答えよ」というのがありましたが、いわゆるソムリエと同じで、データの積み重ねがあって、音によってリアルに体験しているから編み出せる。それがあって初めて様式感が分かるんですよね。

上田

聴き比べ、違いを聴き分ける耳の訓練がないまま、ピアノを弾いても、様式感は判断できない。様式とは、やり方の差異、偏差である、と考えたら、一つ一つの偏差がどうなっているかを聴いていくには、いろいろなものを聴いて、差について「語る」という経験が大切。ディスカッションまではいかなくても、音楽を聴き比べた感動について語るような場が積極的にあっても良いかもしれない。

金子

赤松先生の話にもあるけれど、バロックって、様式の幅があまりにもあるじゃないですか。日本の場合だと、バッハ単体で、それ以外のバロックはない、みたいな。むしろバッハは後期バロックの中で特殊な存在なのに、あれが本物のバロックになっている。モンテヴェルディやフレスコバルディ、そこからの潮流が無視されちゃってる。

赤松

今朝もセミナーをやったんですが、ミーントーンでフレスコバルディを弾くのは一つの経験ではあるけれど、でも、僕たちのバロックって、もうロマン派を経験した後なんです。21世紀にいる人間のバロック受容は、ピリオド楽器に触れるだけでなく、そこの間、ロマン派の人たちがどうバッハを受容してきたか、そこをきちんと学んで、ロマン派って何かということも考えないと。四期って、非常に危なっかしいです。編曲ものがいつも宙ぶらりんになっていく...。

上田

19世紀の編曲というもの、彼・彼女ら19世紀の音楽家たちがみた過去の時代は、ある種のロマンであって、そこに彼らのロマン主義的な価値観が投影されていて、そこにこそ、ある意味ロマン主義の神髄が見れる部分もありますね。

赤松

そこ、ピアノ曲事典は宙ぶらりんにしているよね。どっちを前に出すのか?ブゾーニ?バッハ?ツェルニー?いやあ難しい。

實方

編曲については、1か月以内に、ある連載記事を開始する予定です。

上田

オリジナルって何か、っていう発想ですよね。

赤松

IMSLPはうまく処理したよね。タブを作って。

上田

「エディターとして」というタブもある。

實方

ピアノ曲事典は現在の「作品>楽章や小品」というデータベースの構造を改めて、すべての「曲」をフラットに管理できるようリニューアル中です。編曲の扱いも明確に決まり、新しい見方を示せるようになると思います。

議論すること、考える力
赤松

どうする?どうする?という中で問題意識がでてくるし、調べていくうちに、次の企画ができる。やはり、とにかく「議論する」ということが大切。セミナーもそう、感想を書いて終わりではなく問題提起できるくらいにならないと。事典もそうなれば理想なのかな、と思います。

上田

考える力、ですね。

實方

ピリオド楽器は触れる機会がないとイメージしにくいですね。武久源造さんは、「ジルバーマン・ピアノを触っているうちに、モダン楽器が素晴らしいものだと再認識できたよ」とおっしゃっていました。モダンピアノを弾く人たちに、自分がみつけたバッハへのアプローチをお伝えしたいから、一般の人たちと対話の機会を設けてくれ、と。でも、そこで結構多い質問が「じゃあ、どう弾くのが正しいんですか?」(笑)。いや、正しい正しくないではなくて、こういうのもあるから試してみては、とお伝えするのですが・・・。

赤松

トン・コープマンが言っていたのですが「バロックの靴をはきなさい。それから考えてみなさい」と。装飾にしても、何にしても、試してみて、やりすぎたかな、様式にそぐわなかったかなは、やってみないと分からない。

上田

歩き方、ですね。

赤松

来られる方は、コンペに出て、どう評価されるかに興味があるから、正解がほしい、というのがあります。多様性が大切ですね。

實方

多くの人にピアノを習っていただくためには、多くの人が受け入れやすい環境が必要ですから、「標準化」は、避けがたい面もあります...。

上田

さっきお話しされていたような多様性ということを求めて、そうした生徒が取りこぼされてモチベーションが失われるのは残念なことなので、何かそうした生徒さんのためのセーフティーネットとしての別の枠組みがあってもよいのでは?顕彰できる別の枠組み、「ピアノ曲事典賞」とか(笑)。

實方

学生に直接語りかける企画はやらねばならないし、グランミューズ、大人で趣味でやっている方々にも非常に可能性があると思っています。そこはピティナとしては今後注力する必要があるところなのですが...。

金子

やはり、子どものときって、やめちゃう子もすごくいる。でも、大人で再開した人は、まあ、ずーっと続ける。40歳位から再開した人は、それこそ死ぬまでという勢いでやるんですよ。レッスンも通って、コンペも出て。もちろん仕事もしつつ。僕は、生涯教育のスタイルからいうと、高齢化社会に移行していく時代に、中学受験でやめて数年しかやらなかったような人たちに対するピティナの関わり方は大事なんじゃないかと思うし、いろいろな可能性が山ほどあるんだろうなと思う。。

實方

自分の立ち位置が分かった上で、ピアノを続けていらっしゃると思いますし、子どもたちには、「ピアノを続けていたらああいう風になれるんだ」と、そういう姿としてもみせていきたいと思います。何事にも「参加したい」意識をお持ちとも思います。我々がいくら「研究所を立ち上げます」といったところで、狭い中でやってもダメなんで、共に「ピアノを盛り上げる」ことを呼びかけたいです。

金子

セカンドオピニオンを与えるレッスンで教えることが結構多いんですが、生徒さんが、インヴェンションもシンフォニアも「守らないと怒られる。ミスタッチすると怒られる。こう弾きたいではなく、怒られたくない」と思っているなと感じることがあります。でも、そういう子たちは、途中でやめてしまう。コンペである程度まではいってもね。赤松先生が色々な点で、指導の場面をもう少し整理する、とおっしゃるのは、ピアノ曲事典の整理と合わせて大切かもしれない。そういう意味でいうと、いろいろな指導のいろいろな方々をみてきていらっしゃいますね。

赤松

コンクールの四期を練習するのは良いきっかけだけれど、それだけでは足りない。1の課題曲について100くらい関連課題を出すくらいのことをすれば、コンクールをやる意味が名実ともに出てくる。ピアノ曲事典はその勉強をさせるためのツールとして機能できる。ツールをどんどん出しておけば、「これだけあるのにやってない!」と思う人も出てくるでしょう。現状では、良い記事があっても、読んでる人はほとんどいない。でも大量に出してしまえば「読まないとまずいんじゃないか」という心理も出てくる。「やらなきゃいけない」と思う。。

金子

コンペは課題が難しすぎると受けられる子が減りますから事業的には厳しいですよね。でもこれをきっかけにもっと勉強したら、「コンペの実績もあがる」「物まねじゃなくなる」という風にもっていく。気が付いたら自立して考えられる力が着実についている、ということになればいいですね。

最後に、皆さんから一言ずつ、これからについて

實方

日本でも一番規模の大きいコンクールを運営している団体が、ピアノ曲事典のような企画をやっていることに意味があるだろう、と信じています。今後も折に触れてご意見をいただければと思います。

上田

僕は、コンクールは全く知らない状態で関わらせていただいている中で、セミナーやコンクールでどういうことが起っているのか、驚くべき内容も含まれていて(笑)。これを、問題として捉える、ということと、一方で、研究所というものが、有用で使い勝手がよくて、かつ意義のあるものにしていく、対立している問題をどう止揚して、より高い次元の何かにするか、それが課題だというのがはっきり分かりました。社会的な現状として、指摘された問題点があることをよく考慮して、全く新しい利便性と、自然に高まっていくような技術、知識、具体的にはすぐには思いつかないですが、そういったシステム、いくつかのスキーム作りをしていきたいと思います。それを今日はっきり感じました。

赤松

實方さんがこれを設立、企画された意味というか、ご自身が考えるよりも影響力が大きく、いま見ている人も多いし、それがストレートに伝わる整備、そういう意味では、研究所はいい発想だと思います。あとは、内容が可視化できるようなことが必要かと思います。私は受容する側でもあるので、こちらの交流ができるような...もっと前に出ていいと思う。「良識の府」として働くようなものになれば、もっと変わると思う。

金子

ピティナの存在性ともしかしたら真逆のことをいうかもしれないけれど、最終的には、ピティナに関わった生徒さんが、自分で楽譜を手に入れました、指導者にもつかないで(ここが味噌なんですけど)、自分で、あるクオリティのところまで、自分で作品を演奏できる、あわよくば、似たような形式のものを自分で作れちゃう・・・。そういったシステム、それをコンテンツとして、指導者も生徒も利用できて、最終的に、自分でできる子を少しでも増やしていく、そういう自分でできる子を育てる指導者を増やしていく、それが最終的に大事だと思っています。そこに、ピアノ曲事典とかあるといいのかな、と。私についていないと一生うまくならない、それは不健全ですから。ある段階で「自分でできるようになる」状態のものを作るコンテンツとして、ピアノ事典を初めとして、つくられるとよいかと思います。

實方

ピティナのコンペを「ポケモンバトル」と揶揄する言葉を聞いたことがありますが...。操り人形をつくるのではなくて、そばに寄り添って応援する存在であるなら、指導者の役割は必要。客観的にみてもらうことの有用さは変わらないと思います。プロゴルファーもレッスンプロにつきますよね。高度な指導スキルが必要だと思いますが、そういった技術を身に付けてもらうため、あるいは身に付けた上で利用してもらうツールとして、ピアノ曲事典が機能すればいいな、というイメージで考えています。 過渡期ですので、もどかしい部分もありますが、先生方のご意見から、目指している方向性で概ね良さそうだという安心と、道のりの遠さとを同時に感じました。また折に触れて、次の展開へとつながるアドバイスをいただけたら嬉しいです。

(2017年2月16日 ピティナ本部事務局にて)
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